こんにちは、一場ゆなです。
今はケータリング事業をしていますが、
最初から“社長になろう”なんて思っていたわけじゃありません。
子どもの頃の夢はパティシエ。
でもそこから、料理人になり、うつ病になり、
そしてなぜか今はイベントの裏方を楽しんでいます。
今日は、そんな私の“ちょっと不思議な人生”を、少しだけ振り返ってみます。
夢見る少女から、ケータリング会社の代表になるまで。
小さい頃から「将来の夢は?」と聞かれると
なんとなく「パティシエ」と答えていました。
特別な理由があったわけじゃなくて
ただ、ケーキって人を笑顔にする食べ物だなぁって思ってたんです。
でも本気で“なりたい”と思ったのは中学生の時。
あるパティシエさんの本を読んで、波瀾万丈な人生を歩んでいる姿に惹かれました。
その頃の私は
「前に進む希望」や「生きる意味」を探していて
パティシエという仕事に“希望”を見つけたような気がしました。
製菓学校での学びと、初めての現場
高校を卒業して大阪の製菓専門学校に進学。
2年間、和菓子・洋菓子・パンを学びながら
「なぜこうなるのか?」
という理論にも強く惹かれていきました。
学校の外では、イタリアンレストランでパティシエのアルバイト。
1日に6〜15個のケーキを作り
10〜30件のデザートプレートを出すようなお店でした。
“盛り付けひとつでお客様の笑顔が変わる”ということを学び、
それが今でも私の原点になっています。
東京のケーキ屋で感じた“現実”
卒業後は、憧れの東京へ。
ケーキ屋に就職し、七夕、クリスマス、バレンタイン……
四季の行事にあふれるケーキの世界で、夢中で働きました。
でも現実は、想像以上に体力勝負。
15時間労働は当たり前で、焼き菓子や資材を運んだり、接客したり、
番重というケーキやお菓子を入れる容器を前が見えないくらい積みかさねて、手すりも持てない階段を上り下りするような毎日。
ハードではありながらも、『ケーキ屋さん』という仕事について学ぶことがたくさんありました。
しかしながら「この仕事をずっと続けるのか・・・?」
という疑問が入社して3ヶ月で頭をよぎります。
というのも、6年目の先輩たちを見ながら
「こんなに頑張っても、6年後もこのレベルなのか…?」
そんな不安が少しずつ心に広がっていきました。
料理の世界へ。0からの再スタート
思い切って、料理人に転職。
包丁の持ち方も分からない状態からのスタートでした。
最初は何もできなかったけど、必死に食らいついて、
1年で全てのポジションを担当できるようになりました。
電話を取りながら盛り付けをして、
シェフの動きを目で追いながら次の一手を考える。
毎日がギリギリで、でも毎日が本当に楽しかった。
“苦痛”より“楽しさ”の方が勝っていた日々です。
立ち止まる勇気と、気づき
そんな中、ある日突然、心が動かなくなりました。
うつ病と診断され、休職。
当時は理由も分からなかったけれど、
今ならはっきり分かります。
「できない」と言えなかったこと。
「完璧でいなきゃ」と思っていたこと。
「期待に応えなきゃ」と自分を追い込んでいたこと。
その全部が積み重なって、心が限界を迎えていたんです。
再び働く喜びと、体の限界
少し休んだあと、また働きたいと思えるようになり
外資系ホテルに転職しました。
華やかな場所で働けることに喜びを感じながらも
ある時ぎっくり腰になってしまいました。23歳の時です。
「運動と労働は違う」
その時かけられた言葉が胸に刺さりました。
当たり前のことだけど、
“体を酷使すること=努力”だと思っていた私は、
その言葉にハッとしました。
コロナ禍で立ち止まり、パソコンを開いた
入社して3ヶ月ほど経った頃、コロナが流行。
お店が休業になり、時間だけが余っていきました。
1日15時間アニメを見る“廃人生活”。
そんな日々を過ごしながら
「さすがにこのままじゃダメだ」と思い立ち
パソコンを開いたのが始まりでした。
プログラミングを始めたけど1週間で挫折(笑)。
その後、ネットで見かけた
「月100万円稼げる!」みたいなビジネスに
結婚費用を全部つぎ込んで挑戦。
引き返せない状況だったからこそ、本気でやるしかありませんでした。
半年間、毎日10時間以上ビジネスに向き合って
ようやく少しずつ結果が出始めました。
その頃には、また飲食店のアルバイトも再開していて、
「飲食」と「ビジネス」2つの世界を行き来する毎日が
すごく楽しくなっていました。

飲食×SNSへの挑戦
働いていたお店のSNSアカウントを運用したら、たまたま結果が出て。
「これ、他のお店にもできるかも?」と、
飲食店向けのSNSコンサルを始めました。
安易な考えではありましたが、無事他の店舗でも結果に繋がりました。
しかし、継続の難しさや費用対効果の壁にぶつかって、
すぐに事業はクローズ。
それでも、この経験が私にとって大きな一歩でした。
その後、飲食コミュニティの先輩に声をかけてもらい、
有難いことに飲食店の立ち上げを学びながら手伝うように。
初めてのことにたくさん向き合いながら、
「飲食って本当に大変。費用対効果が合わない。」
そう感じたのもこの時でした。
出会いがすべてを変えた
そんな時、20代の寿司職人と出会い
やりたいことにお互い共感を持ち
一緒にイベントを開催することになりました。
もともと私は“イベントなんて絶対できない”と思っていたので、
それは本当に気まぐれの一回でした。
でもやってみたら、飲食に関わる20代の人たちと
もっと話してみたくなりました。
そして気づけば、イベントが続いていました。
3回目で「もうやめたい」と思ったけれど、
外部からの理由で続けざるを得ず(笑)。
それが、結果的に私の転機になりました。
ケータリングという新しい形
イベントを続ける中で、
「100名の誕生日イベントで、50人分の料理のケータリングをお願いできないか」
というお話を受けました。
これが私の初ケータリング。
そこから30名、200名と依頼が増えていきました。
昔、アルバイトで朝食100名分を一人で用意していた経験が
こんなところで活きるとは思いませんでした。

“一人でやらない”と決めた日
ある日、イベントでの一つの出会いをきっかけに、
「一人でやらない」という選択を学びました。
完璧主義を手放した瞬間、
周りに手を差し伸べてくれる人が現れたんです。
今では10名ほどのスタッフとチームを組み
それぞれが自分の事業を持ちながらも
ケータリング事業も一緒に作り上げています。
これからも、“場をつくる”人でありたい
ケータリング事業で大切にしているのは、
「フードとドリンクによる“場づくり”」。
イベントからの繋がりには、私も幾度となく救われてきました。
そんな大切な『出会いのキッカケの場』を
お手伝いできることに喜びを感じます。
イベント主催者って、本当に大変なんです。
集客も、前日の準備も、当日の進行も。
だからこそ、私たちが支えられる部分は支えたい。
「ミスのないケータリングを、当たり前にする。」
それが私たちの目指す形です。
クライアントの想いに寄り添いながら、
大切な仲間たちと共に、これからも進んでいきます。
